切り口が違うと別物になる
いばや通信の坂爪さんに会ってきた話のその後です。
周りに ちょっと面白い人に会いにいってきたんだよ、という話をしてみたところ、
へー!面白いね。
という反応が多く、割とみんな面白がって話を聞いてくれます。
しかし、
その人、ずっとそんな風に生きていくつもりなの?ありえないんだけど!
と、お説教が始まりそうな勢いで言う人もいたんですね。
私の周りは、だいたいこの2パターンに8:2くらいの割合で分かれる感じでした。
お説教モードの人は、家がないこと、会社勤めの安定感がないこと、結婚しないこと、などから連想される不安感に反応して、そんな自由に甘い事やってんじゃねぇという 怒りに似たエネルギーを感じました。
バカな事やってないで、きちんとした生活しないと。今はいいだろうけど、そんなことやっていたらダメだって知らないのかな?って言われたんですね。
そして、そんな得体の知れない人に会いに行くとかあんたも意味がわかんない。危険すぎる判断だと思う。なんて言われ、何だか私も坂爪さんも面白いと言ってくれる人もみんなダメと言われたような気がして軽く傷付いたんですね。
どうやら否定するエネルギーって、ものすごくチカラを奪っていく気がする。
どう感じようが 自由です。
否定すんのってダメとか思う時点で私も否定してるわけで。
かといって、その考えかたもアリだと思う、なんて大人ぶって言ってみたところでモヤモヤして気持ち悪い。
出来事としては、私は面白いと感じたけど、
面白くないと感じる方もいるってことなんだなぁと。
面白いと感じる私には、後者の方の思考はなかったわけで。
話してみてはじめて知った 自分とは違う切り口。
坂爪さんに会ってきた
このアクションだけで、色んな人生観が見えたかな。
切り口が違うと、別物になるということ。
しかし、どんな切り口からみても、坂爪さんは同じ人だということ。
本質は変わらない。
自分が変われば世界が変わるって、きっとこういうこと。